姫の地蔵さん


国道沿い ミスタージョンの前にあります


  姫の地蔵さんの伝記


 8代将軍徳川吉宗の享保12年(1727年)頃、姫の松原の道端に道しるべの地蔵さんがたてられていたそうです。

 その頃のことですが、太地浦の鯨舟が大島沖で捕鯨合戦の末、姫の松原に上陸して一休みしました。その若者たちは、この地蔵さんを鯨に見立てて、銛を投げて突く稽古をしたのだそうです。その翌日、漁に出て大鯨を見つけたので、銛を鯨にいくつも打ち込み、格闘しながら沖へ沖へと引きずられていきました。そしてとうとう行方がわからなくなり、いくら探しても見当りませんでした。

 そのときの乗組員は約30人でしたが、村中あげての大騒ぎとなり、神様に無事をお祈りしました。そのとき、祈祷師の話に、姫の地蔵さんのたたりで、若者が命を失ったのだということでした.。それから、太地の人たちは新しく地蔵尊を寄進して、亡き人の冥福を祈ったそうです。

 その後、幾度かの道路拡張で座位置をかえられ、現在の所に祠が建てられ祭られています。

 この地蔵さんは、今では若いお母さんの乳受けの御利益があるというので、近郷近在はいうにおよばず、遠方からもご利益を受けに祈願に参られます。また、お礼参りの跡も絶えません。その折り、地蔵さんに前だれを献納するならわしで、何十枚かの前だれが重ねられています。

 なお、地蔵尊の前側には次のことが記されています。

  右ハわかやまみち 享保十二丁未
  左ハみさきみち  願主 太地浦 澤信坊


                       養春小学校100年のあゆみより